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2020/03/07 12:59

その話は唐突に現れた。

2018年夏の終わり。京都の某洒落バーで私と松の司 石田杜氏、唐津焼作家 村山健太郎さんの3人は、年に何度かのいつものように語り続け、石田杜氏推薦の繊細な赤ワインで喉の乾きを贅沢に潤していた。
といっても、大半を語るのはつくり手のお二人で、私は横で、ほー、すごかー、と二人の話を肴にワインを楽しんでいる。

松の司 石田杜氏。京都に生まれ、高知の大学を卒業後、滋賀県竜王町にある、松の司醸造元 松瀬酒造へ入社。30歳で杜氏(酒造りの監督)に就任。現在43歳。
唐津焼作家 村山健太郎さん。唐津に生まれ、有田窯業大学校卒業川上清美氏に師事し、30歳で独立。健太郎窯を構える。現在43歳。

同じ1978年生まれ。そして世にデビューしたタイミングもほぼ同時期。さらには二人とも親や親戚の仕事とは全く関係のない、それも、ものづくりの中でも特に複雑で難解な世界に飛び込み実力で職を掴んだ、というとても似た境遇。

私はちょうど二人と同時期に出会い、それがデビューして3年位の頃だったと記憶している。それから何度酒を酌み交わしたことか。すなわちAZOLLA甕物語が始まるまでに約7年を要したということである。

「やっぱりねぇ、土壌で違うんですわお米も」
「はー、それは土壌によって作り方を変えるということですか」
「ちゃいますちゃいます。土壌の質で自然と変わるんですわ。」
「味がですか。酒のつくりやすさがですか。」
「うーん、砂も粘土も砂礫もそれぞれが混ざったところも別々に仕込んでいくとキャラクターがちゃいますねんや。だいたい山田錦は粘土質が一番やとされとったけれども、確かに粘土の山田は膨らみがあってエレガントなんですわ。ただ、砂礫は砂礫でクリスプな感じでそれはそれでおもろいですやんか。」
「あーー、わかりますわかります。」

と、二人の会話を一瞬切り取ったが、いつも彼らは土壌と、石と、水と、形と、味の話を延々している。それもそのはずで、健太郎さんの作陶は今でもリュックを担ぎ山で土を掘るところから始まり、もちろん釉薬もすべて自身で精製している。

そしていつも行き着くのが、甕仕込みの話。
松瀬酒造では、数年前に京都の友人の陶芸家に依頼して愛知の土を使った大甕を2口焼いてもらっている。なぜ愛知の土なのかというと、蔵から最も近いところで採れる「大甕を焼けるような作りやすい土」がそれだったからだ。

「篠原土いうのがありますねんや、うちとこの町で採れる」
「あーー、信楽で使ってるやつですかねー」
「そうです。あれで甕焼いてもらお思うたら、ぐい呑が限界いいますねんや」
「へー、そんな挽きづらいんですか」

篠原土というのは信楽焼きで使われているが、土のニュアンスを出すために少しブレンドして使われており、その扱いづらさから、単体で使われることはまず無いとのこと。

地元の水、地元の米、地元の空気。竜王町を表現することを追求する松瀬酒造、そしてその酒造りを一身に担う石田杜氏にとって、地元竜王の土で焼いた甕で仕込んでみたいと思うのは自然な憧れなのだろう。

「甕で酒を仕込んだら土の性質の影響をしっかり受けるんですわ」
「そんなにですか」
「そんなにですわ。ぜんぜんちゃいますねん。あの甕もええんやけど、竜王の土で作った甕やったらもっと相性ええはずなんやけどなぁ・・・」

ここで、横でニヤニヤ飲んでいるだけの私の出番。
「健太郎さん作ってみてくださいよ!」
「あ、」
「え、」

これまでも3人で甕の話になっているのだがこの発想に行くことはなかった。それもそのはずで、まず健太郎さんが人の掘った、それも唐津以外の地の土でつくることは無く、私も石田さんも茶碗や花器、酒器とストイックに作品と向き合う健太郎さんを知っているので、容器としての甕をお願いする頭が全く無かった。

ただ、この日はそれが言えたのだ。何故ならいつもより酔っていたから。酒万歳。

「健太郎さんやったらいけるんやないんすか」と私。
「あー、試しにやってみましょうか。ただ、発酵させる容器としてしか作れないと思いますけど」
「えーー、ええー」
「信楽の友達に篠原土送ってもらって、ちょっと試してみますよ」
「えーーーー、ほんまですかーーーーーー」

という話が決まった後の夜宴はさらにヒートアップ。皆無事だったことだけは確かである。

数ヶ月後、健太郎さんからLINEで写真と共に一言が、「いけますよ」。
小さな手のひらに収まるミニチュアサイズの甕の写真。私は「すぐ行きます!」とだけ返信し、博多から唐津の健太郎窯へ向かった。

「甕出来とうやないですか!話ではぐい呑つくるのも精一杯って聞いていたのに」
「まー、元々唐津の土も難しいんですよ。それに僕たちは土を自分が作りやすいように精製する技術を持っているので」

全国の器産地には土業者があり、陶芸家は業者から土を買って作陶するのが当たり前だそう。今でも土から掘る作家が数人いる産地は唐津だけだと。それだけ唐津焼が土と焼の趣を大事にしているというのがこのことからも感じられる。

「じゃあ、実際の甕作ってくれるんですか?」
「あー、もちろん」
「おーー楽しみだーーー。で、土はどうします、送ってもらうんですか」
「そうなんですよね。サイズが大きいし幾つもつくるとなると結構な量になるでしょう。宅急便代も相当かかるし、そもそも土に宅急便代かけても、ねぇ」
「じゃあ車で取り行きましょ!」

ということで、後日健太郎さんとお弟子さんと私とMr.INARIの4人で信楽へ向かうことに。
600キロの土を引き取るということなので、金額を訪ねてみると「タダ」。
お礼に唐津の土を600キロ積んでいく、と。そう、これが「土土交換」。

深夜に唐津を出発し、翌朝信楽へ到着。健太郎さんご友人の作家さん宅でコーヒーを頂き、念願の篠原土を積み込みその足で松瀬酒造へ。
松瀬社長と石田杜氏と共に土を目前に会話が止まりません。
ふと机に目を向けると、「歴史甕壺大図鑑」のような分厚い本が、そして付箋紙が・・・。

「石田さん、これってなんですか?」私が尋ねると、
「あー、こんなんええなー思って。肩のところがねぇ、こうなとるのがええんですわー。こっちのもねぇ、口のところが綺麗なんですわー。それでねぇ・・・」
「いやいやいや石田さん、そこまで拘って作ってたら作品やないですか。勘弁してくださいよ。価格も作品価格にになっちゃいますよ。そもそもこんな歴史的名品の写真を持ってこられても」

発酵容器としての甕でいいってあんなに喜んでいたのに、いざとなるとより高みを求めてしまう。それが石田杜氏。

文章の後に写真を載せていますが、その時の図鑑と完成品とを見比べてください。
いざとなると高みを求めてしまう、健太郎さんこそ正にその人。男前な二人の職人魂。

話がスタートしたのが2018年夏の終わり。一本目の甕の納品が2019年1月。なんと酒造りの期間中に間に合うことができたのだ。そしてこの年はAZOLLAではない幾つかの酒を仕込んだ。

それにしても、このような前例のないプロジェクトをこんな短期間で何故実現することができたのだろうか。

これはやはり、7年がかりのプロジェクトといった方が正しいのかもしれない。
AZOLLA甕物語が始まるまでに7年を要したのではなく、出会った時から物語は始まり7年を経てAZOLLA甕物語第1章完結、ということだ。

今期2019-2020の酒造期。満を辞して松瀬酒造フラッグシップAZOLLAを村山健太郎作甕で仕込み、彼らの誇り高き哲学は素晴らしき液体となって現れ、第二章が始まった。

最後に、縁の深さを象徴する話を一つ。

竜王町で篠原土を採掘する山は鏡山といい、松瀬酒造松瀬社長の先祖が代々治めていた地だという。そして、健太郎さんが唐津で作陶している山の名も、そう、鏡山。

篠原土
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車に積み込んだ篠原土
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松瀬酒造にて松瀬社長と健太郎さん
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試作のミニチュア甕
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初代村山健太郎甕
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京都にて、石田杜氏と健太郎さん。正にこの時です。
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日比谷店で使っている健太郎窯の豆皿
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健太郎窯のある鏡山からの景色
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石田杜氏が用意していた図鑑の写真
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